STORY

PRODUCTION NOTES

「人が思い描いたものは、歴史上の事実を越える」

 モンゴル遊牧民の諸部族を統一し、広大なモンゴル帝国を築いた史上最強の統率者・チンギス・ハーン。だが、彼の若き時代は、まさに知られざる物語だ。「この時代は、彼の一生のなかで最もおもしろい時期だと思う」と、セルゲイ・ボドロフ監督は語る。

 彼は、史実に自由な解釈を加え、人物の性格や感情を描くことに重点を置き、まさに、ロシアの詩人プーシキンが言ったという「人が思い描いたものは、歴史上の事実を越える」をスクリーンに実現した。

 当時の歴史を記した「元朝秘史」によれば、チンギス・ハーンの人生には、空白の期間があるという。ボドロフは、「おそらく捕らえられ、牢に繋がれていたのだ」と考えるロシアの歴史学者レフ・グミリョーフの説を大胆に取り入れ、架空都市・タングート王国で長い間監禁されるテムジンを描いた。「これは物語上、とても重要だ」と彼は語る。「ロシアの19世紀の革命家やスターリン時代に長い年月を獄中で過ごした人々の何人かが、後に哲学者や偉大な人物となったように、テムジンが瞑想し深く考える月日を持たなければ、後のチンギス・ハーンは存在しなかったのではないか」と考えたからだ。

 こうして、“人間の真実”を探求することで、“英雄”の若き日々が、生き生きと立ち上がっていった。

 

製作期間4年。壮大なるプロジェクトが実現!

 撮影は、様々な季節をカメラに収めるため、そして壮大な戦闘シーンへの充分な準備期間を持つために、2期に分けて行われた。第1期撮影は、2005年9月から、北京から車で北へ8時間、大草原が広がる中国内モンゴル自治区で敢行された。浅野忠信は、『座頭市』で身につけた日本の殺陣を捨て、モンゴル剣でのアクション・シーンに挑んだ。ほかに子供時代の全てのシーン、秋冬のシーン等がカメラに収められ、同年11月に第1期撮影は終了した。

 全ての合戦シーンは第2期撮影期間に組み込まれている。それらのシーンに向けて入念な準備がなされ、翌年7月、満を持して中国西端、新疆ウイグル自治区の5ヵ所をロケ地として撮影が再開された。

 最寄りの町から、車で10時間ほどかかる辺境の地において、映画のクライマックス、ジャムカの大軍vs.テムジン軍の決戦シーンは撮影された。約600人のクルー、1000人を越えるエキストラ、カザフスタンから運んだ300頭の馬たちが集結した様子は、ボドロフ監督曰く「どこかの領土を侵攻可能な軍隊!」のようだったという。この巨大集団の5日をかけた迫真のアクションにより、美と迫力が共存した芸術的な戦闘シーンが作り上げられていった。

 また、国立公園の一角には東京ドームの2倍以上の巨大オープン・セットが建てられ、エキゾチックな架空都市・タングート王国が誕生した。ちなみに、このセットは、観光用に残すことを条件に自治区観光庁から建設許可が下りたものだという。

 こうして、2006年11月、全ての撮影が終了した。

 準備期間1年、撮影足かけ2年、音楽、編集、CGといったポスト・プロダクションに1年。トータル4年という長い年月に、すべてのクルー、キャストの魂が込められ、大プロジェクト『モンゴル』は完成に至った。

 

チンギス・ハーン=浅野忠信

 チンギス・ハーン役にふさわしいアジア系俳優を求め、香港、韓国、中国、アメリカ、日本と探し回ったボドロフ監督。その中で、最もふさわしい存在感をそなえる俳優として強く心をとらえたのが、浅野忠信だった。常に俳優としての可能性を広げ続ける彼は、今回も、モンゴル語のセリフや乗馬、剣術をマスターするという、新たな挑戦を成し遂げ、モンゴルの男を演じきった。撮影中、モンゴル人俳優達は、浅野忠信を尊敬し慕っていたという。家族を愛し、配下に情があり、敵に敢然と立ち向かう、静かで熱い魂の持ち主・テムジンのカリスマ性が、彼自身に重なる。

 

世界の才能が、ひとつになる!

 ドイツ、カザフスタン、ロシア、モンゴル、中国、韓国、香港、フランス、オーストラリア、オランダ、フィンランド、アメリカ、日本…。これは、『モンゴル』に関わるスタッフ達が属する国だ。第1期撮影クルーのアクション監督チョン・ドフォン(『MUSA-武士』、『シルミド』)は韓国、撮影監督ロジェ・ストファーズ(『ジョンQ-最後の決断-』)はオランダ出身、録音のブルーノ・タリエール(『アレキサンダー』)はフランス、第2期撮影クルーのアクション監督ジャイドッグ・クグシノフ(『デイ・ウォッチ』)はカザフスタン、撮影監督セルゲイ・トロフィモフ(『ナイト・ウォッチ』)はロシア。音楽のトウオマス・カンテリネン(『マインドハンター』)はフィンランド、編集のザック・ステーンバーグ(『マトリックス』)はアメリカ…。まさに“今”を象徴するグローバルなプロジェクトといえよう。この奇跡を実現させたのは、ボドロフ監督自身のネットワークと執念、そして情熱である。